2026年3月8日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「人を捕るもの」ヨハネ21:15-19
イエスは漁師のペテロを弟子として召し出した。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」このおことばを聞いたペテロは、舟も、家族もすべてを捨ててイエスに従った。人には神に捕らえられる前の状態と、神に捕えられた後の状態が存在する。前者は、「罪」に支配されている状態だ。この状態は神と自分を取り囲む人との間を不調和で支配する。愛を本質とされる神に似せて作られた人間は、神の愛を受けて満ち足りることを得る。そして周りの人と互いに愛し合うことによって幸福を得る存在に造られている。人と神の間、人と人の間に罪がもたらす不調和から抜け出さない限り、人は本当の意味で生きる力を得ることができず、幸福にもなり得ない。また、人は誰もが逃れることのできない「死」という問題にも縛り付けられている。迫りくる「死」の前に人は無力だ。一方、神に捕らえられた状態とは、神と和解させられて神の支配のもとに入れられた状態だ。イエスの救いを心に受け入れて神と和解させられた人々が罪に定められることない。神は私たちのいのちとなられ、真の父となられる。誰もが通る恐ろしい「死」をも神は希望の光で照らす。死の力を打ち破られたイエスが、死は終わりではなく永遠に続く命への始まりであることを示された。人が神の支配のもとに帰ることは、ご自分のものを愛する神の熱心によって建てられたプログラムだ。ひとり子であられるイエスが人に与えられたことがその証しだ。神のプログラムは約束された神の国の成就までを含む。(Ⅱペテロ3:8-13)神の壮大なビジョンに向かって世界は進む。
神の救いのプログラムを遂行する任務は弟子たちに委ねられている。
人の弱さを知り尽くしておられたイエスは、弟子たちがご自分を見捨てることも、否むこともご存じだった。よみがえられたイエスは、自分の犯した失敗に傷ついた弟子たちをガリラヤ湖に導かれ、彼らへの召命が変わらないことを教える。人が自分のどうしようもない弱さを知ったとき、イエスはご自分の羊をその人に託される。
神の壮大なプログラムが成し遂げられるために、イエスはイエスでなければ成し遂げられることができない使命を果たされた。そして、弟子たちにご自分が歩まれた道に従うように命じられる。弟子たちが為すべきことは、すぐ目の前にいる神が出合わせてくださった人々と向き合うことだ。その道は決して楽な道ではない。しかし、神の招きに従う者と神はともにおられる。神が導いておられない楽に見える道を歩むより、困難があっても神がともにおられる道を歩むほうが安心だ。神がその人の行く末を保証される。神の喜びに満ち足りた人生としてくださる。