2026年3月15日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり

「永遠のいのち」ヨハネ17:1‐5

イエスは、メシアとしてのお働きの最終段階を迎えて、天を仰いで父なる神に祈られました。「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。」イエスは他の個所でもご自身が十字架にかかることを、「栄光を受ける」ということばで表現されている。(ヨハネ12:20‐26)イエスに真理を求めるギリシャ人が、イエスに会いたいと弟子たちに申し出たことを聞いたイエスは、「人の子が栄光を受ける時が来た。」と語られた。そして、自然の摂理を用いて、麦が多くの実を結ぶためには、畑に撒かれた麦が死ななければならないことを告げられた。イエスはご自身を畑に撒かれた麦にたとえ、黄金に輝き風に波打つ麦畑を収穫するためには、ご自身が死んで犠牲を払わなければならないことを教えられた。「栄光を受ける。」という言葉は、一般的には周りから高く評価され、名誉を受けることを意味する。父なる神、子なるイエスがお受けになる栄光の前提には、ご自身を犠牲にされるという激しい痛みと苦しみがあった。ご自身が創造された人々を取り戻すためなら、神であることの栄光を捨てることも、呪われた者となることも、愛する御子と断絶を受けることも厭われなかった。父なる神とイエスがお受けになる栄光の根底には、見返りを求めず、自己を犠牲にした完全な愛がある。人に永遠のいのちを与える。このことこそ神がお受けになる最も偉大な栄光だ。神の子とされた者たちは、神を崇め、イエスを心いっぱいほめたたえる。イエスが地上で父の命に従い語ったおことば、力ある御業は人々に永遠のいのちを与えた。永遠のいのちとはまことの神である父と、父が遣わされたイエスを知ることだ。終わりの日にイエスを信じる者がよみがえらされるという希望を私たちは持つ。この未来におけるよみがえりの希望とともに永遠のいのちは、今、現在、イエスを知り、イエスを信じた人々のうちにある。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11:25‐26)パウロはイエスを知る知識において満たされるように祈っている。(コロサイ1:9‐12)イエスを知ることは一度限りではない。神に近づき、神を知る恵みを求め続ける者に神はご自身を現される。イエスを深く知った人々は一層イエスを愛に捕らえられ、従順を学ぶ。父を愛し、従順を学ばれたイエスが、天地創造以前に神とともに輝いていた栄光を取り戻す時は近づいていた。愛する父のもとに帰り栄光をお受けになるその時を想い、イエスは天を見つめられた。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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