2022年2月13日 聖協団目黒教会牧師 都丸道宣
「ことばをも、文化をも越える愛」創世記11章1-9節
話し言葉は一つ。これがノアの子供たちが暮らしていた世界でした。外国も外国語も存在していません。コミュニケーションを取るにはこの上ない状況です。しかし、人々はというと、その恵みに飽き足らず、町や塔を造ろうと計画します。集団は力をつけ、それを結集する政治力を身に着け、自分たちがどれだけすごいかを見せつけたいと、でかいことをしようと企てるのです。全体主義は戦争を産んできました。軍事力や兵器の開発は、他を恐れされ、圧倒するために造られてきました。町とは神への反抗です。自分の身は自分で治め、守れる。部外者(神)には何も言わせない、という姿勢です。塔はこれまでに見たことのない高みを目指します。宗教施設であり、権力者を崇めさせるためのものです。どちらにも神の入る余地はないのです。ノアはただひとり、馬鹿にされても蔑まれても方舟を造ったのはただ神の栄光のためでした。バベルに集まった人々は、耳目を集める事業に大盛りあがりし、自分たちの力を誇り、酔いしれたでしょうが、神を証しするものはありません。ですからもろい。作り出した素材が強固でも人々の団結は緩く、意思統一はことばを乱されるだけで簡単に崩れます。町には広さがあり、塔には高さを備えても、深さはありません。人々が心底からささげたい事業ではなく、人生をかけたいものでもない。ですからことばが乱されるだけで散って行くのです。もし人生をかけたいほどの事業なら続けられたはずです。神に示されたことであれば、ことばが乱されることは逆境にもなりません。この計画が頓挫したのは、人々の心がそこにはなく、魅力もなく、何より平安が保たれなかったからです。愛が感じられないからです。ことばが乱されたというのは、もしかしたら、裁きでありながら、人々が神とはどのようなお方か考える、よい機会だったのではないでしょうか。その意味で救いと言ってもいいように思います。神は私たちが反抗しようと企てていても関心を示し、その心の渇きを分かってくださいます。ことば乱された者の中にも後悔し、おかしな事業に夢中になっていたな、と感じる者は放っておかれないお方なのです。ことばも巨大事業も越え、おかしな文化も混乱した政治状況も越え、私たちの心の渇きに気付いてくださるのが私たちの神様です。正気を取り戻させ、そこに豊かな愛を注いでくださるのです。イエス様は十字架によって敵意を廃棄してくださいました。偽りの集結の虚しさを明らかにし、愛の交わりへと導きます。この愛で人々と交流し、神を証していきましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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