2018年11月18日
「弱いものが、強いものへ」 Ⅰコリント15:40~44
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
昨年の五月、主治医より、抗がん剤に放射線治療、そして幹細胞移植の治療案を聞かされた。ショックと恐れは、いまも忘れることはできない。
病気になれば、人間は弱いものである。だが聖書は〝肉体の救い〟について訴える。
「天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており…朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです」(Ⅰコリント15:40、42~44)。
ノーベル賞作家、カズオ・イシグロ氏の小説に「わたしを離さないで」がある。英国政府による画期的な医療技術で、平均寿命が100歳を超えたという舞台設定である。緑豊かな森に囲まれた寄宿学校ヘールシャム。病人に臓器提供するため生まれた子どもたちを育てる施設だ。(困っている大人たちのため、自分の臓器を提供し、人の役に立つために生まれて来たのだ)と教育され、それを疑うことのない子どもたち。臓器提供は、二回、三回と命の尽きるまで行われる。主人公のキャシーにも臓器提供手術の通知書が届く。物語は、手術を控えたキャシーが、自分の人生は何だったのかと、少し自問して幕を閉じる。ラストシーンはこうだ。(私は自分に問う。私たちと、私たちが救った人々にどんな違いがあるのだろうか?人はみな死ぬのだ。〝生きること〟の意味を理解することもなく、命は尽きるのだ)。
生きることの意味。「私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り…御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて…彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』」(黙示録21:1、3~4)。
「神の幕屋が人とともにある」(21:3)、「神は彼らとともに住み」(21:3)、「神ご自身が彼らとともにおられて」(21:3)…。〝生きることの意味を理解することもなく、命は尽きるのだ〟。それは、人間が神と共にいない状態にあったため、起きていたと聖書は告げる。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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