2018年7月22日
「最期の言葉」 詩篇5:3
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「私はこの眼でローマを見た中浦ジュリアンです」と呟いた後、過酷な拷問に耐え、中浦は殉教した。1549年、ザビエルが来日して布教が始まる。それから三十年後、日本人の使節団をローマ法王のもとへ送ることになった。1582年、長崎を出発したのが天正少年使節団で、中浦ジュリアンも選ばれた一人であった。苦しい旅であったが、使節団は各地で大歓迎を受ける。とりわけ法王グレゴリウス13世が好意的で、使節団は法王の謁見を受ける。中浦は、高熱のため公式の謁見には参加できなかったが、法王の好意で密かに拝謁が許される。中浦は、法王の御足に口づけし、法王は中浦を親しく抱擁したという。このときの感激が、五十年後の壮絶な殉教に繋がり、死の間際「私はこの眼でローマを見た中浦ジュリアンです」と叫ばせたのだろうか。帰国後、中浦は弾圧の被害を徹底的に被った。捕われて、汚物の満ちた穴の中へ逆さに吊るされる。一緒に吊るされた宣教師フェレイラは、苦しさに耐えかね手を振って棄教の合図を送った。中浦は最後まで苦しみに耐えて死んだ。拷問をうけながらも、彼の心の中には、親しく自分を見舞ってくれた法王の面影が髣髴とし、それが心の支えだったのではあるまいか。「私はこの眼でローマを見た中浦ジュリアンです」と呟き、殉教した。
「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか」(詩篇22:1)。このときイエスの心に去来したものは何だったのか。ルカによればイエスの最期のことばは「『父よ。わが霊を御手にゆだねます。』こう言って、息を引き取られた」(23:46)、ルカだけが記したこの言葉を、イエスの本当の最期の言葉として聞きたい。実際、順番としてそれが最期に呟かれたかどうかの問題ではなく、イエスの最期の心境はそうであったに違いない。
「私はこの眼でローマを見た中浦ジュリアンです」と呟き、彼は殉教した。実際、順番としてそれが最期の言葉であったかどうかの問題ではなく、彼の最後の心境は「この眼でローマを見た」、それがこの世に生きた自分の痕跡である。そんな思いだったのではあるまいか。
今、何かを語るよう求められたなら、私の口からどんな言葉が出るというのだろうか。50年も60年も生きて来たのだから、そこに、確かな生きた痕跡があればよいのだが、実情はどうなのだろうか。自分らしい、語るべき言葉を追い求めなければなるまい。〝信仰〟とは、自分の言葉を、見つける事ではあるまいか。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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