2024年1月21日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「すべてをあわれむために」ローマ11:28~32
神はアブラハムを選び、彼の信仰と従順を神は喜ばれ、彼からでる子孫が敵の門を勝ち取り、全ての国々は祝福を受けると約束された。パウロはオリーブの木をイスラエルにたとえ、アブラハムの信仰がオリーブの根、アブラハムの子孫イスラエルがオリーブの木、その枝の幾つかが折られ接ぎ木されたのが異邦人だと述べる。異邦人は単独で根を張り神の民として存在するのではない。聖霊を内に頂き神と隔てない関係を頂いた異邦人は、その豊かな恵みに夢中になり、元木であるイスラエルの存在や、根であるアブラハムの信仰によって結ばれた神の契約を忘れ、単独で成長しているかのように振る舞うべきではない。異邦人はアブラハムの信仰から始まり、イスラエルの幾千年の歴史の先に接ぎ木され組み入れられたのだ。またイスラエルには神の召命があり、神の教えの素晴らしさを世界にあかしする使命を帯びている。しかしアダム以来全ての人の内には、神に逆らう罪の性質が宿り、その弱さを抱えて選民として歩む力は人には無い。イスラエルは沢山の神の業を見ながらも、神への不信仰と不従順により国は滅ぼされた。しかし、国が滅ぼされる時にも、民が捕囚として連れ去られる中にも神は共におられた。神は御自身の民が捕囚とされて引いて行かれた土地で「残りのもの」と呼ばれる神に聞き従うイスラエルの民を用いて御自身の栄光を現された。征服者バビロン帝国の王ネブカドネツァル、ペルシャ帝国の王キュロス、これらの帝国の王達は、異邦人でありながらイスラエルの神の権威の前にひれ伏し畏れ、神の教えに聞き従い、神の教えを知らない者には教えるように命令を出した。キュロス王は神に用いられ、イスラエルの民にエルサレムに戻り、神殿を再建するように命じた(イザヤ48:9~11)。時を経てイスラエルは約束された救い主を妬みによって十字架につけて殺した。しかし神は、イスラエルの失敗をも用いて万人があわれみを受けることができる救いの道を開かれた(マタイ20:1~16)。先のものは後にされるが、イスラエルに向けて預言書に記されている、イスラエルの霊的回復、選民としての回復も神は、御自身の御名のために必ず成し遂げられる。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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