2023年8月27日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「バラバ」マルコ15:7
ポツダム宣言の受諾による敗戦からサンフランシスコ講和条約の調印まで、アメリカ軍による日本占領の時代が続いた。この間、独立国家としての主権はなくすべてGHQの指示に従って、日本政府は右往左往しつつも実行せざるを得なかった。この「占領時代」ほど、日本の明日のわからないままに日本人が日々を過ごした時はなかったのではあるまいか。あらゆることが混沌未分の中にあり、日本人は失意と退廃と猥雑と貧苦にあえぎつつただ懸命に生きようとしていた。紀元前4年頃のユダヤ地方は古代最強国家ローマの支配下にあった。そんな世情を背景に、ローマからの解放運動は激化していた。「バラバという者がいて、暴動のとき人殺しをした暴徒たちといっしょに牢に入っていた」(マルコ15:7)。マルコとルカは〝暴動と殺人〟、ヨハネは〝強盗〟と記している。バラバは、解放運動の首謀者的存在である。ヨハネは〝強盗〟と記したが、ローマと戦ったユダヤ人の立場に立てば、(少し違うんじゃない)(ああ書かれちゃ可哀想)という声はあるだろう。〝強盗〟と書けば、うっかり、そのまま受けとってしまう人はいるだろう。暴動、殺人、強奪…祖国を愛したバラバの狂気にまで至る執念を描いて間然するところがない。強盗は、解放運動の資金源であり、大義があった。だがローマにとっては処刑すべきテロリストだ。バラバが現われたことで、イエス終焉の日は近づいていた。イエスの尋問をした総督は無罪を確信して、窮余の一策を思いつく。過ぎ越しの祭りには、囚人を一人釈放する習慣があった。群衆の要望は、「イエスを十字架につけろ」であった。かくてバラバは釈放され、イエスの十字架刑が決定した。すでに三本の十字架が立てられていた。真ん中はバラバのために、その左右は「バラバが…暴徒たちといっしょに牢に入っていた」。(15:7)。バラバの仲間のための十字架だった。ところがバラバは生きる運命が定められ、代わってイエスが十字架についた。バラバは何かの力によって生かされ、何かがバラバを殺さなかった。かき混ぜると新たに広がる世界がある。結果ローマは強かった。祖国解放について言えば、バラバも二人の仲間も挫折した。それさえあれば生きていける。その道も閉ざされた。だがバラバの生涯は決して空しくはない。「バラバという者が牢に入っていた」(15:7)。「やっぱり自分の死について考えたよ。死ぬはずだったのに助かった。何かが自分を殺さなかった。自分にはしなければならない仕事があるんだと、誰かに言われたなあ」

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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