2023年05月21日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「私の弱さ」Ⅱコリント12:9~10
「墓の前、強き蟻いて奔走す」(西東三鬼)」
ひどい女を語ってみようか。奔走する強い蟻、デリラを思う。その強さは女の強さであり、色香であり、執念であり、常軌を逸したものの考え方である。妖艶な悪女、途方もない殺害計画。強い女のデティールが浮かぶ。「十戒」の制作者セシル・B・デミル監督が1950年に「サムソンとデリラ」を公開した。デミルの描いたデリラは、結果として本当の意味で強い女にはなりえなかったが、それは彼の人生哲学のようなものであっただろう。これとは反対に、強い蟻のほうをサムソンに据えたらどうなったか。色香に迷って力の源を失い、弱い虫けらのようだが、本当は強い蟻であった…と。私にはこの方が心に響く。
ナイルの湖畔に建つ神殿の碑文に文字が刻まれている。〝ラメセス3世の治世、ペリシテ人はあらゆる国に手を伸ばし、ついにエジプトに進軍した〟結果、エジプトはペリシテ人より強かった。敗北したペリシテは、エジプトを北上し、カナンに現れた。ペリシテはイスラエルと戦い、焼き払いたい村落は焼き、残すべき部落は支配し、殺したい者は殺し、娶りたい女は娶った。ペリシテの侵入によりイスラエル各地は植民地のようになった。ペリシテの信奉する偶像の神殿が建てられ、ペリシテの律法が布告され、ペリシテの兵があらゆる所に駐屯した。サムソンが遣わされたのはこんな時である。イスラエルの独立を模索する革命家は、ペリシテの界隈に出没する。そこにデリラがいた。色香の周辺を奔走する強き蟻。代償は大きかった。力の源を失い、両眼をえぐり取られ、捕虜として引き立てられる。あとは惨殺を待つばかり。捕囚の間、サムソンの髪が少しずつ伸び、力が戻っていた。「神よ、私の命は消えても構いません。使命を遂行させて下さい」サムソンは力の限り力を押した。神殿が崩れ、大勢のペリシテ人が死に、イスラエルは独立と主権を回復した。
あれだけ迷ったのだから美しかったのだろう。美女の周辺で奔走する弱い虫けらのようだが、本当は強き蟻であった。「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる。だから、私は、キリストの力が私をおおうため、大いに喜んで私の弱さを誇り、弱さに甘んじる。私が弱いときにこそ、私は強いから。(Ⅱコリ12:9~10)

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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