2022年2月26日 聖協団目黒教会 牧師 都丸道宣
主題「そして、いのちを得る」創世記19章30-20章7節

ロトと二人の娘は滅びから免れました。素晴らしい神の恵みでしたが、人里から離れ、洞穴で引きこもったような生活を始めました。娘たちは男との出会いが見込めない、と父親によって子供を得ることにしました。そして男児を得ます。二人の子は後にモアブ人とアンモン人という部族になっていきます。2部族はソドムのように乱れ、イスラエルに対立し、神の計画を邪魔するようになります。しかしその忌まわしい出自によって生まれた部族から、イエスの系図に連なる人物ルツが出てきます。モアブ人であったルツはダビデの父エッサイの父と結婚しています。神様は諦めません。出自がどうであっても、親族にどんな人がいても、救いがあなたに及ぶのに邪魔になるものはありません。
一方、アブラハムも苦難の中にありました。ペリシテ人の土地に移り、王の前で恐れに駆られ、自分の妻を妹と紹介してしまいます。王はサラを気に入って、召し抱えますが、神が夢に現れて、サラを返しなさい、そして、いのちを得なさい、と迫ります。王アビメレクは主を恐れ、すぐに返すと約束します。いのちを得るのに異邦人もイスラエルも関係ありません。罪人も善人もありません。神を恐れ、神の御前に出て、神の御声に従うだけです。
アブラハムとしては、このような失敗は二度目のことでした。しかし神は失敗を赦さないお方ではありません。今日の箇所で確信を得ます。一度目のエジプトの失敗でもアブラハムは罰を与えられたのではなく、多くの財産を得ました。この二つのことに共通するのは、神の介入は信仰者の人生だけでなく、信仰者を害する相手にも神の栄光が及んでいるということです。それはいのちをもたらす働きなのです。
私たちには問題が起こります。ただその問題の核心に迫ることに私たちは躊躇します。ロトも王たちもアブラハムも問題を浮き彫りにされました。そこからいのちの道を歩み始めたのは誰でしょう。今日の箇所ではアビメレクが当てはまります。アブラハムは問題を突きつけられました。ロトには問題から膿が出て、次の問題をはらみ始めたところです。問題を見せられるというのはある意味神様からの期待と言えます。問題は問題だけで終わることはありません。背後にはいつも神が働いておられます。
同じ問題が身に起こることを感じるでしょうか。それにイラッとしたり戸惑ったり、打ちのめされたり感情的になったりしているでしょうか。先延ばしにしているでしょうか。主はそのところからいのちを始めようとされているのかも知れません。あなたやあなたに対立する人が、主のいのちに出会う機会がそこにはあるのかも知れません。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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