2023年2月5日 聖協団目黒教会 牧師 都丸道宣
主題 「いのちを与える御霊」
コリント人への手紙 第一15章39-46節
主は私たちに新しいいのちを与えられるお方です。新しいいのちは素晴らしいです。それは御霊によって与えられるのですが、しばしばそれは逆境や困難にあるときに受け取ることになります。人生順調なときや、楽しみが続いているときにはかえって見失いがちなのです。それは人生の意味や神様の意図を見つめようとするときに深いところで得られます。ですから、私たちは逆境や困難にあるときにこそ、探そうとあがいていることが多いのです。
私たちの内側では血肉のからだと、御霊に属するものがせめぎ合っています。そして順境であるときには、目に見えるもので満足してしまい、見逃してしまうことが多いのですが、逆境であるなら、この目に見える逆境をどうにか越えるために、その知恵に出会いたい。経験からどうにかなるものなのか、いま手元にあるもので活用できるものはあるのか。八方手を尽くし、心を尽くして、見えないものの中からも探そうと手を伸ばすとき、見えないもののなかに新しいいのちを見つけます。
ものの見方が関係してきます。なぜなら、 永遠とは目に見えないものだからです。神様とは見えないお方だからです。見えないものには力あるものが多いのです。愛がそうですし、心もそうです。 精神もそうです。忍耐や思いやりなどは形になって効力を発揮するものですが、その起点は見えないところにあります。そして、それらは永続性をもっています。私たちを導き、神のみことばと、御霊によって歩む、永遠のいのちの道とは見えない道の歩みです。
「私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 私たちの軽い苦難は、それとは比べ物にならないほどの重い永遠の栄光を私たちにもたらすのです。私たちは見えるものではなく、見えないものに目を留めます。 見えるものは一時的であり、見えないも のは永遠に続くからです。」(Ⅱコリ4:16-18)
全ての見えるものは滅びます。人は死に、建物は崩れます。次の世代が起きて、またやがて去っていきます。しかし見えないものを積み上げ、それを残そうとするなら、成長があり、成熟があります。 日本は戦後、豊かになったが、心(精神)を失っている、 とある人は言われました。経済が豊かになっても、人々の心が養われないなら、人は人を傷つけることに何も感じなくなることでしょう。そこでは、幼い命がないがしろにされ、高齢者には敬意が払われることはなくなります。そのような社会でどれだけ緊張して、私たちは生きなくてはならないのでしょうか。
しかし、主は私たちの味方です。私たちは恐れることはありません。どんな人の攻撃も恐れることはないのです。もし、見えない主に信頼するなら、新しいいのちを得るのです。新しいいのちは見える、朽ちていくものから、見えないものを見つめ、それらに価値を見出す者へと変える力があります。見方を変えるということは味方を得ることです。それは主です。御霊によって、私たちは素晴らしいいのち、永遠に続くいのちを歩んでいく者となるのです。ハレルヤ!

カテゴリー: 礼拝メッセージ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です