2022年10月15日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「キリストの王国」詩篇118:22
ゼデキヤ王の第11年目、バビロン軍が突如として動いた。凄まじい歓声。鋼の戦車が城壁を突破する。ゼデキヤ王は捕えられ、両眼をくりぬかれ、血まみれの盲となる。美しい娘たちは暴行され、抗う者は刃に倒れた。
エルサレムの北、アナトテの村に、エレミヤと呼ばれる若者がいた。26才のとき、神の召命を受ける。ユダ王国滅亡、40年前のことである。ふと神が尋ねた。「エレミヤよ、何が見える」「鍋が見えます。煮え立つ鍋が…北から動いて来ます」。それはバビロンの進軍を意味していた。「災いが北から来る。ユダの町々に神の怒りが示される。立て、エレミヤ。行ってユダに告げよ。神に寄せた許嫁のごとき無垢の愛はどこに失せたのか、と…」(エレミヤ書)。エレミヤは訴えた。「この国に破滅が訪れる。民は鎖に繋がれ異邦の土地に曳かれ、散り散りになる。だがこの民は見捨てられない。先祖アブラハムと結んだ契約のゆえ、聖なる土地に連れ戻されるだろう。主のお告げ。散り散りになった羊を導く牧者をわたしは与える。救いの芽が…ダビデの家から萌え出て、この民を導く…」。
寄せ集められる前に、散る日がついに来た。煮え立つ鍋により国は崩壊。民は難民、捕虜として異国の地へ曳かれていった。
ユダヤ難民の捕虜には、祭司出身のエゼキエルもいた。鎖に繋がれ、美しいシオンから曳かれる群れに混じり、「バビロン河のほとりに座し、シオンを想って泣いた」と記す。時代はイザヤを頂点とし、様々な預言者があらゆる土地に現れていた。「人の子よ」と、エゼキエルに呼びかける。彼を呼ぶとき、神はいつもこの表現を用いた。後に来る「エッサイの家」「ダビデの家系」のあのお方も好んで自らを「人の子」と呼んだ。「人の子」の呼称はキリスト来臨の兆しを確実に秘めていた。「わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる」(エゼキエル34:23)。
その頃、ダニエルは、バビロン宮殿でエリート教育を施されていた。ある日、ネブカデネザル王が夢を見る。ダニエルが解き、それは、移ろい変わる人類史の興亡、盛者必衰の理であった。ダニエルは訴える。人類史を完成させる「ひとつの石」、キリストが、それまでとは全く違う次元に属する王国を建てられる。栄えて滅びを知らない永遠の王国を…。
エレミヤ、エゼキエル、ダニエル…彼らは同じひとりのお方を見つめ、民らに希望を訴えた。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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