2022年6月5日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「万人の利のために」Ⅰコリント12:4,7
人間はみな〝一粒の種〟である。収穫もまたそれぞれ異なる。〝道ばたの種〟とは、みことばを悟らない者のことだ。心に蒔かれた種も、悪い者が来て奪ってしまう。〝岩地の種〟とは、神の声を受容れるが、困難に遭い実を結ばない心だ。〝いばら地の種〟とは、みこえを聞いても世の欲望に惑い、収穫の無い魂だ。〝良い地〟とは、心の充足を求める魂であり、豊かな実が約束されている。人は、物や財力の不足、肉体の苦痛にも過敏だ。だが、それらが満たされれば自分の境遇に満足する。いのちの根源、己の内面が空虚でも、霊の充足を求めることがない。だが、いつかそれに耐えられない時が来るだろう。それはすでに訪れている。「三年経ったが果実がない。土地が無駄、伐り倒そう」。「勘弁してくださいな。来年まで待ち、それでも果実がなければ伐りましょう」。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」(ガラテヤ5:22~23)。神は待つ。伐らずに待つ。だが、地上の時は永劫ではない。あのお方は、実を結ぶ心得を訴えられた。「耳のある者は聞け。大きな塔を建てる者は、慎重に費用万端を計算するだろう。礎を置いた後、資金不足になれば、人々の嘲笑を買う。また、国運を賭け他国と戦う王は、まず兵力を眺め、戦をしても無駄と思えば、外交の使者を立て、協定を結ぶ努力をするだろう。天の御国も同じこと。御国を得るには如何なる術が必要か、それを知り、そのため備えることだ。狭い門から務めて入れ。入る望みを持ちつつも、入れず終わる者が多い」。種を撒くお方は〝良い地〟に最後の水を与えようと〝タラントの譬え〟を語られる。タラントはお飾りに天から預かったのではない。二に、五に、十に育て、実を結ぶことだ。パウロは後、あのお方の心を次のように理解した。12:4 「賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊で…」(Ⅱコリント12:4)、「みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです」(12:7)。賜物はそれぞれ異なるが霊はひとつ、使命は異なるが主はイエス・キリストただひとり、それぞれにタラントが与えられたのは、すべて隣り人のため、万人の利のためである。だから〝みなの益となるため(12:7)〟天の御国の喜びのため、地の平安のため、互いの重荷を負い合うために、委ねられた賜物に忠実であれ。主人はもうすぐ帰られるだろう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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