2018年2月18日
「教会の基礎」 ルカ6:13~14
基督協団目黒教会 牧師 横山聖司
「さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。『人々は人の子をだれだと言っていますか。』彼らは言った。『バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。』イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。』」(マタイ16:13~19)。
教会は、イエスをキリストと告白する基礎の上に成り立っている。その他、一切のものは、教会の基礎ではない。イエスがキリストであったかどうか、これは信仰の根幹にかかわる大問題である。イエスを〝神の子、キリスト〟と告白すれば、その眼前には一本の大いなる道が開かれるだろう。イエスを〝神の子、キリスト〟と、信じない選択肢があるのは事実だ。だがイエス自身は、自分が神の子であると確信し、神の子として振舞い、約二年半の公生涯を流星のように駆け抜けた。イエス自身が抱いた確信に、賭けることこそ信仰である。
時は一世紀の終わり、ローマ皇帝が、自らを〝主であり、神〟を名乗り、皇帝礼拝を強要、しきりに教会を弾圧していた頃である。「死に至るまで忠実でありなさい」(黙示録2:10)、この訴えの背後には「イエスか、それともカイザルか」の命題が隠されていた。ローマにとっては、皇帝カイザルこそ神である。ローマ側も、教会側も「イエスか、カイザルか」の命題の前に、死闘を繰り広げた。キリスト者は、競技場で火あぶりにされ、ライオンの餌食となる。つまびらかな記録は残されてはいないが、西暦64年頃、パウロはローマで首を刎ねられ、また、ペテロは逆さに十字架に磔にされ、二人とも波乱に満ちた生涯を閉じている。
教会は、イエスをキリストと告白する基礎の上に成り立っている。その他、一切のものは、教会の基礎ではない。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

1件のコメント

WordPress コメントの投稿者 · 2018年2月26日 8:26 AM

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